相原正明写真夜話Ⅴ

紅葉の季節

紅葉の季節と、桜の季節が、 一番フィルムが売れて、プリントの需要が高いと、むかし富士フイルムさんの営業マンの方がおっしゃっていた。確かに僕も紅葉時期の撮影量は多い。
 でも紅葉の撮影でこの数年考えることがある。色に頼り切っていないだろうか? 紅葉の色がなくてもこの作品は鑑賞に堪えられるだろうか?自分の視点ではなく色頼み、被写体頼みになっていないかとしばし考える。

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 確かに色がきれいだと、作品映えがする。そして写真展でも人目を惹く。フォトコンでも入選する。
そうすると、写真好きな人はいつも紅葉の盛りを追い求める。だが過去の日本画を見ると意外と紅葉真っ盛りを書いたものは少ない。逆に盛りを過ぎたもの、あるいは冬木立になったものの方が多い気がする。あるいは秋の名月を書いたもの。自分でも撮影中、真っ赤な紅葉は「うわ~~」と飛びつき撮ることもある。だが意外と、紅葉を撮り行っても、それ以外の被写体に時間をかけて撮ることも多い。

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今回のモノクロの木の作品だ。紅葉真っ盛りの北海道で撮影したものだ。写真展等では展示しなかったが、意外と絞りや焦点距離あるいは画角を変えてかなりしつこく撮影している。
自分自身、写真を本格的に始めたのは中学生。モノクロフィルムの時代だ。それが大学卒業まで約10年間、ほぼモノクロだけの時代で過ごした。
つまり自分の写真を撮る基本はモノクロで、光と影を見て、そのあとに、後付けで色を着色してイメージ作りをしているのであろうと考えている。モノクロと言う基本をしっかり学ぶつもりではなかったが、知らず知らずにモノクロフィルムで10年間、色を抜きに光と影で、被写体を見つめる修練を積んでいたことになる。

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特に最初は 蒸気機関車の撮影であったためモノクロームで充分であった。おかげで、絵画で言うところの、木炭デッサンに値する、モノクロでの撮影をじっくりすることになった。特に落語を撮るときに今でも、ほとんどモノクロ撮影。理由はカラーにすると落語家さんの貌の表情よりも、着物の色や、背景に眼が行ってしまうことがある。視点が散漫になりやすい。そんな理由でモノクロにしている。
そういえば、就職時期 カメラマン希望で数社雑誌社を受験した。いずれも同じ試験だった。モノクロ、50mm(標準レンズ)で人物を撮影する試験があった。

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今考えるととても納得。写真の基本を見るのにとても大切なことだと痛感する。
いよいよ紅葉は平野部にもおりてくる。そんな時、すこし天邪鬼に、色の無い世界を狙ってみるのも面白いと思う。他人とは大きく異なる表現。アートやマーケティングの世界で大切なのは他者との差別化。天邪鬼な視点は、素晴らしい差別化を生むと思う。
紅葉の季節のモノクロ相原お勧めです。明日から北海道、秋のモノクロームを狙ってみる。

2020/10/25
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